みちくさブログ

K社長の事件簿 vol 1

山小屋の主人。
それはなりたくてなれる職業でも無く、免許などもない。なりたくても、なりたく無くてもその山小屋の長男に生まれてしまったらならざるを得ない、とても特殊な職業の一つである。

不便な山小屋の業務をこなすことはもちろん、時には警察役、時には救急隊となり、人それぞれ複雑な事情もある。

サービス業なので営業期間中は書けない裏の事情、人間味溢れるお話をご紹介します。

※私の主観であり、徳澤園の考え、スタンスでは御座いません。

ハイシーズンになると全国各地から山好き、徳澤園好きなスタッフが25名程集まり、シーズンの業務にあたる。最近は、60歳オーバーの申込みも多く、

「昔から山に登り、人生最後の挑戦として山小屋の仕事がしてみたかった。山登りをしているので、体力には自信があります」

と言うのが大概の方の志望動機である。

私も山小屋に戻り18年が経ち、400名近いスタッフたちを見てきたので、ある程度の成功パターンと失敗パターンは熟知している。

その方にまずお話するのは、山小屋はのんびりとお客様とお話し、天気に左右されながら、繁忙期と閑散期を繰り返していると思われているのならば、実情は全く逆。特に北アルプスはどの山小屋も人気があるので、常に繁忙期。
逆に閑散期は休みが多くなるので、ゆっくりとした時間が流れる山小屋にはほとんどスタッフがいませんよ。とお伝えする。それでも、どうしても山小屋でと言うのであれば、南アルプスや東北などの比較的静かな山小屋をお勧めする。

そして、最後に、
「私たちの山小屋を気に入って貰えて光栄です。ただ、お客様として過ごしやすい山小屋は、スタッフとしてはとても厳しい教育の中で営業を行なっています。自分で言うのも何ですが、徳澤園との関わりはお客様でいるのが1番ですよ。」
と少し意地悪な返答で終わる。

それでもと言う方が最終面談となり、何人かが採用となる。

ただ、入社したらスタッフの8割が二、三十代であるため、お父さん、お母さん的な立ち位置で若い子たちが嫌がる仕事も割り切って行ってもくれるので本当に重宝する。

前置きが長くなったが、そんな個性溢れるスタッフには其々特徴があり、この時はこのスタッフ。この場面はこのスタッフと長所を生かしながら、各部署で働いて貰っている。

現在のフロントの要は、YZちゃんである。彼女の良いところは、常に沈着冷静。そして、トラブルの対応は特に素晴らしく、困ったお客さんやトラブルの際にはいつも彼女に丸投げしている。

そんな彼女であるため、私が一番焦るのは、彼女が走りながら私に近づいてくる時である。絶対、何か良くないことがあり、彼女でも解決出来ない案件で、しかも急を要しているとなれば、正直私に頼られても解決出来るとは思えない…。でも、一応山小屋の主人だからしょうがない。

10月某日。19時頃。
「人が倒れてます。意識もほとんどありません。」

うちでは、年に10名近くお客様が倒れる。大体が、下山の喜びと共に酒を飲み、久々の風呂にゆっくりつかり、そのまま貧血で倒れるというのが王道パターンである。そんな光景を何度も経験している彼女が焦っているのだから、正直私が行くよりも、直ぐに救急隊を要請した方が賢明だと思いつつも、現場に急行した。

そこには、25歳前後のカップルがおり、彼女の方が痙攣を起こし、ほとんど意識がない状態。彼は、その横で震えながら彼女の名前を叫んでいる。王道の貧血パターンは、殆どが高齢者で、こんなに若くて健康的な女性がホラー映画のような状態になっていると、こちらも動揺してしまう。よく見ると、東南アジアのカップルである。日本語は殆ど喋れず、何故こうなったのか状況すら把握出来ない。

彼女は10分おきに抑えている人を吹き飛ばすくらいの激しい痙攣を起こす。白目を剥き、失禁もしている。

たくさんの急病人を見てきたがここまで激しい症状の人は見たことがない。

焦る気持ちを抑えつつ、何故このようになったのか片言で彼に事情を聞いてみるが、全然わからない。そして、一つの仮説が思い浮かぶ。

薬物中毒。

人目につきにくい山の中は、時々薬物使用で来ている人がいると聞いたことがある。目の前の、東南アジア系の若いカップル。偏見で大変失礼だが、見たこともない症状を見ると、もうそれでしか無いと思ってしまう…。そして、もしそれであれば、対処の仕方が全くわからない。

すぐに、救急隊を要請。但し、ここまで救急隊が来るのは早くても90分かかる。また、119番に通報しても、山小屋であり、道のりから夜閉鎖されてしまう釜トンネルのゲートの説明など場所を理解してもらうのに、毎回5分以上かかる。症状を伝えて、取り敢えずこちらに向かってもらう事になった。

ここで我にかえる。

あれ…。焦りすぎて何か忘れてる。しかも、超重要なことのような気がする。

やばい…。コロナ…。

もしかして、これってコロナの症状なのか。急に血の気が引く。マスクはしているものの、手袋、ゴーグル、専用の防護服を着てない。万が一コロナだった場合、完全に濃厚接触者になってしまう。

(コロナ禍で変わったものの一つに、山岳救助がある。目の前に人が倒れていたら助けるのが、山小屋の大きな役割の一つであった。ただ、コロナの影響で救助することは濃厚接触の機会を生んでしまう。スタッフはもちろんであるが、特に特殊任務の救助隊員やヘリのパイロットが濃厚接触者になると後の救助にも支障をきたしてしまう。従って、コロナ禍の山岳救助はいつもに増してギリギリの判断を迫られている。)

急いで、完全防備をして再度応急処置にあたる。

救急隊を待っている間、少しづつ彼女は回復の兆しを見せてきた。多少であるが会話も出来るようになってきた。
彼女の容態を気遣いつつ、もう少し頑張れば救急車が助けに来る旨を伝えた。その時、彼女が強い口調で話出した。

「救急車を断ってください。私は乗りません。私は大丈夫です。」

「ダメだって。さっき迄痙攣も起こしていたし、また再発したらうちでは何も出来ないから!」

やはり、薬物???だと思った。
何度説得しても、救急車には乗らないと断固拒否。

全く聞き入れて貰えなかったので、再度119番に連絡を入れる。私としては、取り敢えず救急隊に来て貰って、直ぐに病院に連れて行って欲しい。
しかし、救急車は本人が拒否したら、周り人が乗車させることが出来ないことがわかった。救急隊から警察に説得して貰ってはどうかと言うアドバイスをもらい、警察にも来てもらうことになった。

初動から30分程度経っていた。彼も冷静になり話しているうちに、とても好青年だと言うのがわかった。少なくとも、ドラックをする人間には思えなくなっていた。また、彼女も笑顔を見せ始めた。ベトナム人特有の屈託のない笑顔の美人さんであった。こちらもドラックとは無縁に見えた。

それでも、救急車を頑なに断る理由が気になる。日本の救急車は無料でお金がかからないというのも何度も説明した。

ドラックでもないとなると、もしかして不法滞在?だから、救急車や警察を拒否するのではないかと考えが変わってきた。

救急車到着に備え、彼らが張っているテントの回収をすることにした。そして、彼女がこのような状態になった理由が明らかになった。

このカップル。はじめてのテント。あまりの寒さに我慢ならず、なんとテントの中で焚火をしていた。テントはもちろん、全てのものが燻されてとんでもなく焦げ臭い匂いがしている。そして、酸素が無くなり、一酸化炭素中毒。ギリギリ症状が出なかった彼が運び出し、フロント迄運び込んだのである。はじめて見る一酸化炭素中毒。恐ろしい光景ではあるがドラックでは無かったという喜びの方が大きかった。

十分に酸素を吸い、彼女は見違えるように元気になっていた。そして、カタコトではあるが日本語も話せる。

そして、何故、生死の狭間を彷徨う状態で朦朧とする中、救急車を拒否するのかを教えてくれた。

それは、コロナ禍の事情が大きく関係していた。

ベトナムから出稼ぎで日本に来た2人。彼は長野県。彼女は三重県で職場が見つかった。そこに訪れたコロナ。会社から県外への移動は禁止され、会うことが出来なかったそう。10月に入り、感染状況も改善しつつあり、ようやく再会することができ、感染予防を踏まえ流行りのテントに挑戦。
ただ、その会社ではまだ県外への不要不急の外出は制限され、万が一破った際には解雇もあり得るという事情があった。外国人が働く場合、身元引受人が必要。彼女の身元引受人は会社になっており、救急車を利用した場合、身元引受人に連絡が行くことを恐れ、自分の命よりも仕事が無くなるのが怖かったと話してくれた。

そんな事情を聞かされ、命の危険を冒しても仕事を優先させる強さ。出稼ぎ労働者の過酷な事情。コロナ問題の新たな一面を一気に見せられ、とても複雑な気分とどうにかしてこの誇らしい若いカップルを助けてあげなければならないと言う使命感が湧いてきた。

「救急車に乗って病院へ行ってね。事情はどうにか説得するから!」

まずは、こちらに向かっている警察に電話。警察には警察の立場があるので、変に事情を説明するよりも、すでにこちらの方で彼女を説得して救急車に乗って貰えることになりました。お騒がせをしましたと伝え、途中で引き返してもらった。

程なくして救急車が到着。これまでの経緯と彼等の事情を説明するが、やはり例外は難しい…。どうしても身元引受人への連絡が必要となる。でも、私も彼等と話している間に、彼等への愛着が湧いてしまい、どうしても譲れない。
結果、これ以上書くと一線を超えてしまうことになりそうなので、書くのは控えるがどうにか彼女は病院に届けられた。

かなり変化球ではあるが山小屋の主人の役割は果たせた。

救急車が出発する直前、女将が
「貴方達。本当に大切なのは仕事では無くて命だからね!」
と伝えると、また屈託のない笑顔を見せた。
思わずみんなで笑って救急車を送り出すと言う、なんとも温かい救出劇となった。

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