前職の旅行会社時代。特殊な部署に配属され、大手企業法人の報奨旅行や海外研修。また、芸能人やスポーツ選手と一緒に行く旅行などを手掛けていました。
学生時代から少しだけプロレスにも興味があり、アントニオ猪木さんともお仕事を一緒にし、近くで見る彼のカリスマ性に心惹かれたものです。
猪木さんは、ロマンチストで彼の読む詩は、本にもなり多くの人を魅了しています。
「道」
この道を行けばどうなるものか、危ぶむなかれ。
危ぶめば道はなし。
踏み出せばその一足が道となり、その一足が道となる。
迷わず行けよ。
行けばわかるさ。
アントニオ猪木
道を意識をすることは普段の生活ではあまりありません。
多少アスファルトがはがれていようが、水たまりになっていようが、そこを避けて通る。若しくは、回り道をすればいいだけです。
大きく破損すれば、知らない間に誰かが誰かに通報し、知らない間に誰かが直します。
ましてや、道がない場所に、何でここに道がないのだろうかなど思ったことすらありません。
道は無料で快適であるが当たり前。
・・・・・・と勘違いをしています。
登山道
その昔、勇気と好奇心に充ち溢れた人が、この道を進んだらどうなるのだろう。と危険を顧みず一歩一歩。そして、何度も何度も進んだに違いありません。危険だと躊躇すれば道は進みませんし、繰り返し通らなければ、そこはまた林と化してしまいます。その果てに何があるともわからず・・・・。
登山道は所有者(国)は明確ですが、管理者は不明確です。
いつだれが通るか分からない道を誰も管理などしたくありません。だから、大抵登山道というのはその先にある山小屋が、ボランティアで管理をしています。大型重機もなければ、そこにアスファルトを敷きつめるなどできるわけがありません。
頼るのは、人力と経験です。
今朝、蝶が岳ヒュッテの若い小屋番が2人訪ねてきました。
夏も終わりひと段落したので、登山道を整備しに行くそうです。
いつも通り、
「お願いね!!」
と送りだしたのですが。雨が降りしきる中、体重と変わらない重さの丸太を、笑顔で背負っていました。
最近、忙しさに感け、ここで暮らしている私自身も登山者が山に登るのは当たり前と勘違いをしていました。
そこにたどり着くには、見えない努力と報われるかわからない中作業している人がいることを。
山頂の到達したのは自分だけの力ではない。そこにたどり着く環境を整えてくれた人がいたことを。
誰の為かわからないけど丸太を笑顔で担ぐ青年たち。
久々にめっちゃかっこいい男に出会いました!!
レポート 若旦那